【短編】手袋
私はいつも手袋を忘れてた。
東北の冬は刺すように寒い。 特に私は寒がりで、手袋なしでは指がかじかむ。冬なんて来なきゃいいのにって毎年思う。雪は白くて綺麗だから好きだけど。
私は寒がりのくせになぜだかいつも学校へ行くとき手袋を忘れてしまう。かじかむ指をこすり合わせて「さむーい」なんて言っていると隣を歩く宗一郎が「大泉、お前毎日じゃん」なんて言いながら制服のお尻ポケットから軍手を取り出して渡してくれる。
「明日は忘れんなよ」
なんて言ってさ。でも渡されるのが軍手だから何もときめかない。
そんなところがバカっぽくてかわいくて
でも、やさしくて
私はそんな宗一郎に惚れたのだ。 好きなのだ。
軍手を受け取り手にはめた私は素直にお礼を言うのが照れくさくって「ほんとはもっとおしゃれなのがいいんだけどなー」なんて文句を垂れる。でも、あたたかな軍手に包まれた私の両手はぬくぬく幸せだ。
多分、このあたたかさは軍手だけによるものではない。宗一郎のやさしさに触れた私の心の温度が上昇しているからこんなにもあたたかいのだと思う。
「贅沢言うなよ」とぶつくさ文句を言う宗一郎のことをはいはいごめんねという風になだめすかしながら軍手を眺める。
軍手は白い。雪と同じだ。私が毎日はめているから少し汚れはついているけれど、そういうところも雪と似ている。雪も積もって時間が経つと汚れがついて黒ずんでくる。
軍手の白い部分から少し視線を落とすと、手首の辺りにある黄色い線が目に映る。
「はあ」と私は大きなため息をつく。
宗一郎が「クリスマスも直前なのに彼氏もいないからため息ついてんの?」と茶化してくる。「うっさい。黙って」と心にも無いことを言い返し、私は少し物思いにふける。
軍手の手首の黄色い線は私と宗一郎の恋愛境界線だ。
私はその線の3㎝後ろくらいに突っ立っている。宗一郎はその遥か前方にいる、ように思う。
私はいつも宗一郎に向かって踏み出してしまいそうになるのだけれど、すんでのところで踏みとどまる。
多分今の関係が一番楽だし落ち着くし、嫉妬もしなくて済む。苦しくなくて済む。悲しくなくて済む。だから気持ちは伝えない。
っていうのは言い訳で、ただ単に怖いのだ。気持ちを伝えて、振られて、関係がぎくしゃくして、壊れてしまうのが怖いのだ。そんなことになるくらいだったらあふれ出しそうになる気持ちを無理やり押さえつけてでも今までどおりに宗一郎の横で楽しくやっている方が幸せだ。
でも
「ほんとうにそれでいいのかな」とも思ってしまう。
軍手は雪と似ているけれど、人の気持ちはどうなんだろうか?私の宗一郎に対する思いもこのまま放置していると汚れがついて黒ずんでくるのだろうか?それとも雪のように溶けていってしまうのだろうか?わからない。
このままだとそのどちらかが現実になりそうで怖い。まあ私の気持ちがいくら黒ずんでも宗一郎を刺したりなんてしないだろうけど。
と、ここまで考えた時、宗一郎が口を開いた。
「大泉さ、お前先週桑原に告られたでしょ?」
「うん、そうだね」
「なんで振ったの?あいつ良いやつだし、かっこいいじゃん。すげー音痴だけど、笑えるくらい」
「お前のせいだよバカ宗一郎」
と怒りたかった。こいつはいつもそうだ。デリカシーの欠片もない発言で私の痛いところを逆なでしてくる。狙ってやってるんだろうか?
「つーかあんたなんでそんなこと知ってんの?」
「相談乗ってた」
「あ、そうなんだ?」
宗一郎のやさしさは八方美人だ。道を行く子供にも困っているおばあちゃんにもクラスメイトの男の子にも後輩の女の子にも、そのやさしさは向けられる。私も含めて。だからなのか結構モテるし、男の子からも相談される。
昔、なんでそんなにいろんな人にやさしくするのか聞いてみたところ
「知ってた?愛は地球を救うんだって」
と言われたことがある。頭がおかしいのかと思ったけれど、多分宗一郎はそれを本気で思っているのだ。宗一郎のやさしさは天然なのだ。
それにしても凹む。
いくら天然で八方美人なやさしさだからって私に対する恋愛の相談には乗らないで欲しかった。恋愛相談に乗るということは桑原君と私が付き合ってもかまわないっていう風に思っていることに他ならない。ということは、私は宗一郎にとって恋愛対象外であるということなのだ。
これは凹む。がっくし来る。恋愛境界線の後ろで立ち止まっている私の遥か先を行く宗一郎の姿がますます遠ざかっていく。今日は一日暗い気持ちで過ごすことになりそうだ。
とまたここで宗一郎が口を開く。
「なに考えてんの?」
「ん。あんたがなんでそんなにいろんな人にやさしくすんのかなって」
「あれ?前も言わなかったっけ?「愛は地球を救う」って」
「あんた1人で救えるはずもないじゃん地球なんて」
「そんなん知ってるよ。俺だってガザ地区とかにいる恵まれない子供たちとか救いたいとか思ってるわけじゃないし、つーかあまりにリアリティがなさ過ぎて想像するのも無理。だからせめて自分の半径片手メートルに入る人たちには優しくしたいなって」
「なにその半径片手メートルって?」
「メタファー。自分の身近な人の」
「変なの」
「なんだよその言い方」
宗一郎の「恋愛相談乗ってた発言」により悪くなりかけていた私の機嫌は宗一郎の「半径片手メートル発言」によっていくらかよくなる。「半径片手メートル」っていう比喩表現は謎だし、バカっぽいけど、とにかく私は宗一郎の身近な人の1人ではあるらしい。
そうこうしていると校門が見えてくる。
つまらない授業は聞き流し、昼休みとかはクラスの友達と楽しくお話をして放課後になる。私は今週掃除当番で、友達と休み時間の続きを話しながら掃除を適当に済ます。じゃんけんで負けた私は今日のゴミ当番になる。ゴミ捨て場に到着し、さてゴミを捨てようかという私の目にまさかの光景が映る。
宗一郎
と女の子。しかも1個下の学年で一番かわいい娘。真澄ちゃんって言っただろうか。
これ絶対あれですよね?クリスマス前だし、告白タイムってやつですよね?やばくないですか?あんなかわいい娘に告白されたらいくらなんでも付き合っちゃうでしょ宗一郎。
真澄ちゃんが口を開く。私はその光景を目前にして、校舎の陰で動くことができずにいた。
「宗一郎先輩」
「うん」
「あのう…」
「うん」
「クリスマス、予定はありますか?」
あー、やっぱりね。
「ない、と思うけど」
だろうね。
「じゃあ、クリスマス、私と一緒に過ごしてください!前から好きでした!あの、一緒にストラップ探してくれた日から!」
真澄ちゃん、言った。すごい。私には無理だ。そんな勇気ない。
そしておめでとう宗一郎。かわいい彼女ができてよかったじゃ
「あ、ごめん。それは無理」
私の諦めの思考を遮り、宗一郎の口から耳を疑うような言葉が発せられた。
「俺、君とは付き合えないから」
宗一郎の口から、トドメの冷たい一言が放たれる。
真澄ちゃんは肩を震わせて泣いてその場に立ちすくんだ。
宗一郎は泣いている真澄ちゃんにはなにも言わずにその場を去った。多分家路についたんだろう。あいつ、今日は部活も休みだって言ってたし。
私は校舎の陰から走り出し、泣いている真澄ちゃんには気づかないふりをしてゴミを捨てて、教室に戻ってゴミ箱を戻してカバン取って一緒に帰ろうっていう娘たちを全部無視して走り出した。
宗一郎に追いつくために。
校舎を出るまで気が付かなかったけど、例年より少し降るのが遅い雪がちらちらと空から舞い降りてきていた。
今年はホワイトクリスマスになりそうだ。
そんなことを考えているうちに宗一郎に追いつく。
私は「宗一郎待って」と声をかける。
宗一郎はやさしいから立ち止まってくれる。そんなトコロも好きだ。
「あ、大泉、一緒に帰」
私は宗一郎に追いつくなりその頬を思いっきりひっぱたいた。なぜかはわからない。真澄ちゃんと私を重ねていたのかもしれない。
「あんたほんとなにやってんの?」
「お前こそなにす…」
「あんたさ!真澄ちゃんだっけ?あんなにかわいい娘があんなに勇気振り絞って告白してたのになんなのあの断り方!」
「見てたんだ?」
「見てたわよ!そこは謝るけど、とにかくなんかもっと他に断り方あったでしょ!」
言い出したら止まらなかった。なんで私はこんなに怒っているんだろう
?私と真澄ちゃんは関係ないのに。やっぱり真澄ちゃんに自分を重ね合わせているんだろうか。
怒る私の前で宗一郎は頬をおさえながら口を開いた。
「だって、お」
「だってじゃないでしょ。あんたのこと好いてくれた娘なんだからあんなに冷たくすることないでしょって」
「だからさ」
「だからなによ!なんか言いたい事あるんだったらはっきり言い」「お前が好きだ」
は?オマエガスキダ?ってどういう意味だっけ?
「え?なにそれ?どういう意味?」
「だから、お前のことが好きだって」
「お前って私のこと?」
「他にいないだろ。今ここに」
「っていうことはどういうことなの?」
「付き合ってってこと」
「私と?宗一郎が?」
「うん。大泉と、俺が」
やばい。意味わかんない。意味わかんない衝動に突き動かされて、意味わかんないまま、意味わかんないくらい怒って、これだけでも意味わかんないことがたくさんありすぎるくらいなのに今また意味わかんないことが起こった。
意味わかんないながらも嬉しいことだけはわかる。
なぜだかわからないけれど私は泣き出してしまって、声なのか泣き声なのか区別のつかない感じで「うん」と答えた。
私が落ち着くまで、宗一郎と私は近くの公園のベンチに腰掛けていた。
宗一郎は「ちょっと待ってて」と言うと両手にあったかいココアを持った来てくれた。
ココアが冷めてきた頃には私の昂った感情もいくぶん冷めてきたようだった。
「あのさ」
「ん?なに?」
「雪、きれいだね」
「うん。そうだね。」
「あのさ」
「うん?」
「大泉、泣き顔ブッサイクなのな。笑っちゃいそうだったわ」
「うるさいなー」
「つーかさ」
「うん」
「なんであんなに泣いてたの?」
「それ、今聞くことじゃないでしょ。空気読めなすぎるわよ」
「え?そうなの?でも気になるじゃん」
「宗一郎っぽいね」
「そうかな?」
「うん。ぽいよ」
「で、なんでなの?」
「まぁ、いいか。ちょっと恥ずかしいけど」
「うん。いいんじゃない?あの泣き顔の後だし」
「だからその話ししないでよ!でさ?宗一郎、桑原くんの相談乗ってたって今朝言ってたじゃん」
「あぁ、うん。言ったね」
「それ聞いて対象外だなって」
「あー」
「つーかさ、なんで桑原くんの相談乗ったの?私と桑原くんがくっついたりするとか思わなかった?」
「思ったよ」
「じゃあなんで相談乗ったの?」
「フェアじゃないじゃん。俺が大泉のこと好きだからって、桑原の邪魔するのはよくないだろ」
「あー、うん。たしかにそうだね」
「でしょ?」
「でも、あんたやっぱりバカだよね」
「そういうところが好きなんだけど」
とは言わずに私はベンチから立ち上がる。
少しずつ降り積もってくる雪の中を歩き出す。
宗一郎も追いついてくる。
「もうすぐクリスマスだね」
「あー、そうだね。なんか欲しいもんある?」
「んー、今はまだいいや」
欲しいものはたくさんあるけれど、今の私は頭がいっぱいだ、そこまで考えが回らないし、宗一郎と一緒に入れるだけで満足なのだ。
「あっ」と私は思い出したように声を上げた。
「やっぱり欲しいものあった?」
「ううん。そうじゃなくて、寒いから、軍手、かしてほしい」
「そういえば今日も忘れてたもんな」
宗一郎が制服のお尻ポケットから軍手を取り出し私に渡す。私はそれを手にはめる。やっぱりぬくぬく幸せだ。
私は空に手をかざして軍手を眺める。軍手は降ってくる雪みたいに白い。視線を少し落とすと軍手の手首の黄色い線が手首をぐるっと一周している。その線を見てももう、私の口からため息は出なかった。これからも出ないんだと思う。
軍手の黄色い境界線は軍手の黄色いスタートラインに変わったのだ。私と宗一郎の。
「うん」
そう言ってから私は一歩踏み出した。
今日まで嫌いだった冬も、少しは好きになれそうな気がした。