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【短編】帰り道を間違える。

帰り道を間違える。
 
 
今日で会えなくなるのかー。なんて考えると私の気持ちは底なしに沈んでしまう。
私は現在絶賛片思い中だ。ゼミのワタナベ先生に。28歳。大学の先生にしては若い。あまりかっこよくはないけれど、先生の発する言葉の隅々に知性が散りばめられているところとか、押し付けじゃなくさりげない感じに優しいところが好きだ。まぁ他にも好きになった理由っていうのはあるんだけど、そんなものを一々挙げていたらきりがない。
 
そんな先生は来週、留学してしまう。ノルウェーに行くんだそうだ。北欧。遠い。なにをしに行くのかはいまいちわからないけれど、とにかく遠い。しかも期間は5年。距離的にも遠い上に、時間的にも遠いところに先生は行ってしまう。
 
今日はそんな先生の送別会だ。ゼミ以外で先生に会えるのはうれしいけど、送別しなくてはならないことを考えると気分は沈む。今の私の気持ちは歓喜と悲哀が1:1でせめぎ合っていて、なにかがあれば感情が溢れ出してしまいそうだ。具体的に言えば、先生と話しているうちに号泣してしまうかもしれないということで、そしてそれは送別会が終わるまでなんとしても防がなければいけないことだ。泣くのは明日でも明後日でもいつでもできる。先生とのしばしに別れに涙なんていらない。笑顔で送ってやりたいのだ。
 
そんなこんなで会場に到着し、先生の送別会は始まる。先生があっちへ行ってもなんとかかんとかって話をして、乾杯の音頭を取る。カンパーイってやってから一口。うん。やっぱりビールは美味しい。口の中に炭酸の爽やかさが広がって、あとから苦味が来る。それも爽やか。大人の味。これが良いのだ。そしてしばらくすると訪れてくる酔い。最高だ。なんて言うと友達のマサコとかアガサとかに「おっさんじゃん」なんて言われるけれど、美味しいもんは美味しいし、好きなものは好きなんだからしょうがない。
 
「ねえ、ヨリコ」
「ん?なにアガサ?」
「あんたさ、今日どうすんの?ワタナベさんに告んの?」
 
アガサ、というかゼミの半分くらいの人間は私のワタナベ先生に対する秘めたる思いを知っている。全く覚えていないけど、ちょうど先生が留学することを知った次の日にあった飲み会で私は泥酔し、先生への思いをぶちまけていたそうだ。ほんと恥ずかしい。
 
「え、しないよ。今告ったって、しばらくダメじゃん。会えないじゃん」
「遠距離って手もあるでしょ」
「さすがに遠すぎるでしょ。北欧だよ?ヴァイキングだよヴァイキング?ウオーとかいって雄叫び上げるんだよ?」
「まぁよくわかんないけどさ、取り敢えずあんた後悔しないようにしなよ?あとそのあんたの北欧に対するイメージ拭っといた方がいいよ。ヴァイキングなんて今の時代にはいないし、そもそもそこまで野蛮じゃなかったんじゃないの?って話も出てるくらいなんだから」
「うん。でもさ、どちらにしろ後悔するよ」
「え、でも後悔の質ってあんじゃん」
「なにそれ?質?アガサが作った基準なの?」
「うん。一生後悔し続けるっていうかさ、人生のところどころでポッと思い出して「あん時なんであーしなかったんだー!うわー!」って苛まされる悪玉の後悔と、もし思い出したとしても「うん。あれがあったから今の私があるんだ。今日も元気に生きていこう!」なんて思える善玉の後悔があると私は思ってる。そんで、後悔するならするでなるべく善玉後悔になるような選択をしたいなっても。なんていうか後ぐされの無いようにしたいなってさ。まぁ、善玉悪玉の区別の基準ってのはその時その時の私の気分によるものなんだろうから時間がたったりすると別な気分になってあんまり意味はないんだろうけど」
「ふーん。ありがとアガサ。つーかあんたなんでそんなにヴァイキングについてくわしいのさ?」
「ん?彼氏の家にあったヴィンサガ読んで興味湧いちゃってさ、調べた」
 
それからアガサはヴィンランド・サガとかいう漫画の面白さについて語っていた。特に、主人公のお父さんのかっこよさとアシェラッドとかいうおじさんのかっこよさについて語っていたと思う。アガサは年上好きに目覚めてしまったのかもしれない。話していることはあんまり頭に入ってこなかった。アガサの言葉が私の頭から離れなくて、脳みそのメモリの大半がそっちに持っていかれてしまっているのだ。
 
「後悔しないように」
 
私だって後悔はしたくない。
  
「善玉後悔になるように」
 
私だってさっぱりした気分でお別れしたい。
 
そんなことを考えているうちに、幹事のサトウが「それじゃあ、宴もたけなわということで~」とか言い出して、送別会はお開きになる。行きたい人は二次会に行くんだそうだ。私は先生が行くなら参加しようかなって思って先生の姿を探す。いた。あれ?でも帰ろうとしてない?
 
「先生帰るんですか?」無意識のうちに私は声をかけていた。
「うん。帰るよ」
「そうなんですか?あ、家こっちなんですね。私の家の方向と同じなんで途中まで一緒に行ってもいいですか?」
「いいよ。でも、二次会参加しなくてもいいの?ナルセお前酒好きなんだろ?」
「なんですかそれ。確かにお酒は好きですけど、今日は二次会まで行く気分じゃないです」
「そういう日もあるよな」
「はい」
 
私は何をやっているんだろう。嘘をついた。私の家は真逆の方向にある。いや、ほんとなんつーか恋のパワーって時々制御不能になるんだね。つーかほんとにどうしよう。まぁ、でもいっか。先生とふたりきりになれるのだ。少しでも一緒にいたいのだ。
 
「じゃあ僕はナルセのこと送って帰るから」と先生はみんなに言う。
 
「え?ヨリコん家ってあっちだべ?」と、空気の読めないバカコマツが私の間違いを正そうとするが、マサコが助け船を出してくれる。「コマツあんた携帯忘れてるよ!酔うのもいいけどほどほどにしないと!」「おーわりーわりー」というやり取りを背に、先生と私は家路につく。
 
小さい頃の話とか、最近どうなんだっていう他愛のない話を話をしながら私と先生は歩く。段々駅が近づいてくる。それは、さよならの時が近づいてきていることにも他ならない。そしてその時が近づいてくるのに比例して、私の中の先生への思いはどんどん膨れ上がって来て、どうにもこうにも行かなくなる。
 
「先生」
気づくと私は先生に話しかけていた。
「おう」
恋人の有無を確認するのだ。
「先生って彼女いるんですか?」
いれば諦めよう。
「いないよ。いたら多分留学しないしね」
いる、と言って欲しかった。そうしたら楽に諦められるのに。
「そうなんだ」
私の思いはもう止まらない。
 
「まぁね」
「先生」
「うん?」
「あたしさ、先生のこと好きなんです。どうしようもならないくらい。」
「うん」
「だから、付き合ってください。遠距離だろうがなんだろうが先生帰ってくるまで待ってるから」
「ごめん。付き合えない。やっぱり今はそういうこと考えられない」
 
振られた。結果なんてほとんどわかっていたようなもんだけど実際にそれが現実に起こるとつらい。泣きそう。もうこらえらんない。帰ろう。家に帰って思い切り泣こう。
 
「私の家、ほんとはこっちじゃないんです。あっちでも頑張ってください」とだけ言って私は先生とは反対方向に歩き出す。
雨蛙だろうか?ゲコゲコと鳴く声がやけに大きく聞こえた。
 
 
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
 
 
あの日から5年が経つ。私は2年前に大学を卒業した。その間、先生だけを一途に思っていたわけではない。何人かの男と付き合いもしたし、まぁ先生にはあんまり言いたくないようなことも少なからずした。今でも先生のことを好きかといわれるといまいちわからない。振られた直後はあんなに泣いたのが嘘のようだ。人間ってすごい。なにか嫌なこと、辛いことがあっても時間のかかり方に多少の差はあれど必ず立ち直る。立ち直れる。
 
今、私は同窓会の会場へと向かっている。ワタナベ先生が留学を終え、帰ってきたからやるんだそうだ。みんな元気だろうか。アガサとか(コマツ)マサコとか、サトウやコマツ(マサコの旦那である)とは連絡とったり遊んだりしてるけど、その他の人とはあまり連絡を取っていない。コマツは相変わらずバカだ。
 
会場に到着する。おぉ、結構高そうなお店じゃん。5年前の送別会の時はやっすい居酒屋だったのに。やっぱりあの頃とは環境が違うんだね。
 
同窓会が始まり、盛り上がったままで終わる。私は先生とは一言も話せなかった。話さなかったわけではなくて、なんとなく話しかけにくかったのだ。みんなは二次会に行くようだけど、私はあまり気分が乗らないので帰ることにする。
 
 
「ナルセ帰るのか?」
 
 
うん?と思い振り返るとそこにはワタナベ先生がいた。
 
「はい。帰ります」
「僕も今帰るところだ。ナルセの家はこっちなの?」
「そうですよー」
「ん。じゃあ僕の家もこっちだから」
 
他愛もない話をしながら2人並んで歩く。5年前のあの日を再現しているみたいでなんだかちょっと感傷に浸ってしまい、無言になる。
 
そのとき、先生が口を開いた。
 
「ナルセはもう道を間違えないのか?」
2人して立ち止まる。
「間違えたのはあの夜だけです」
少しの沈黙の後、先生が私を向いて私の肩を掴んで私の目を見て
「今日、帰り道を間違えたのは、僕だ」
え?どういうこと?
「もしまだあの頃の気持が少しでもあったら、僕と付き合ってくれないだろうか」
涙が溢れた。あ、そうか。やっぱり私先生のことが好きだ、大好きだ。多分、これ以上傷つかないようにその感情に頑丈な蓋をして、見ないふりして、気付かないふりしていただけだ。先生は今その蓋を外した。いともたやすく。その中に無理やりしまい込んでいた感情たちはもう溢れ出して止まらない。
「はい!」
「そこの居酒屋にでも入りませんか?話したいこと、たくさんあるんです」
「そうだな。僕も、話したいこと、たくさんあるんだ」
 
5年前は別の方向を向いていた2人の帰り道は今日、同じ方向を向いた。それは私と先生の気持ちにも言えることで、これから先もなるべく長い時間同じ方向を向いていければいいと思う。とりあえず今は一緒の方向を向いて居酒屋に入ろう。のれんをくぐると「いらっしゃいませー」という店員さんの声がする。それは5年前のあの日と同じようにゲコゲコと鳴いている蛙の声とともに夜の闇に吸い込まれていった。