WEBデブリ

WEB上のデブリです。

これは僕の「告白」です。

会話をしていて言葉に詰まることはないか。僕はある。今現在のこの感情や状況、つまり言葉で表したいものに100%ぴったりで寸分の狂いもなく1ミクロン単位でシンデレラジャストフィットで当てはまる言葉があるんじゃないかと頭の片隅をよぎってしまってそれを探すうちに言葉に詰まってしまうのだ。


でも、多分そんな言葉は存在しない。あったとしても、会話の流れのその瞬間瞬間の状況に適した言葉を選び続けるということはまず間違いなく不可能だし、その言葉が相手にも100%ぴったりで寸分の狂いもなく1ミクロン単位でシンデレラジャストフィットする保証なんてどこにもない。僕がそう思っているだけかもしれないし、相手からすれば全くもって見当違いな気持ち悪い言葉かもしれない。


それでも僕は探してしまう。100%ぴったりで寸分の狂いもなく1ミクロン単位でシンデレラジャストフィットする言葉なんてあり得ないとわかっているのに、そのあり得ないものを探すことだけはやめたくない。やめられない。コンソメパンチのCMのガキやかっぱえびせんのキャッチコピーみたいになってるけど、それこそそんな言葉を探しているのだ。

 


多分これはただの自己満足に過ぎないんだろう。自己満足のために言葉を探して会話に詰まる。こんなやつでは、こんなことでは「あかんのではないか?」とたまに悶々としている僕に「あかんではないか。」と諭し、「あかんかった。」と締めてくれる小説がある。

 

 


この小説の主人公である熊太郎が置かれたどこかの場面には絶対的に自分がいる。どの場面なのかは十人十色、いや、年月が経って読めば違う場面で自分を当てはめてしまうかもしれないから十人百色の読み方がある。

 


確かに主人公の熊太郎は特殊な人だ。半グレにもなれないクズみたいなもんだし、最終的には十人殺して、その事件は盆踊りのスタンダードナンバーの題材になるくらいに特殊な人だ。


でも、そんな熊太郎の一生を描いた小説のどこかに「あれ?自分にもこんなことあったなぁ?こんな気持ちになったなぁ?」って引っかかる場所が絶対的にある。熊太郎みたいな人間と同じ人生なんて誰も歩んだことないだろう。いや、そもそも、誰かと同じ人生なんて誰にも歩めないはずなんだ。それなのに熊太郎と自分を重ねてしまう。多分、誰しもどこかでは。

 

 

 


僕は別にこの小説に救われたわけでもないしこの小説に救いもない。

 


でも、少し気が楽になった。この小説を読んでからは。僕みたいな人間はどんな時代でもいたんだなって。


これが「僕」の「告白」であり、小説の名は「町田康」の「告白」です。

 


こんな締め方をするところがあかんではないか。

 

 

#読んだ

#小説

僕にとってのプロレスの始まりは三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だった。

僕にとってのプロレスの始まりは三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だった。

学生の頃だった。あらびき団を観たあと、テレビをつけたまま漫画を読んでいるとプロレスがやっていた。

僕は格闘技があまり好きではない。
すぐにチャンネルを変えようとした。が、なにか僕を引きつける人がいた。黄緑色のおっさんだ。

黄緑色のスパッツを履いたいい歳のおっさんが、髪を振り乱し、汗をまき散らしながら闘っている姿にはなにか胸を打つものがあった。
いつの間にか、読んでいた漫画を放り出し、手に汗握りながら試合の行方を眺めていた。

「決まった〜エメラルドなんとか〜!!」

と実況が叫び、黄緑色のおっさんの勝利が確定した。

それとともに僕の中で黄緑色のおっさんはエメラルドの闘士へと変化したのだ。

これが僕のプロレスの始まりだった。

だから2代目タイガーマスクでもない。全日本プロレスの三沢光晴でもない。プロレスリング・ノアの社長、そしてプロレスラーとしての三沢光晴社長なんだ。

翌日学校へ行き、プロレスに詳しい奴に話を聞くとエメラルドの闘士の名前は「三沢光晴」、エメラルドなんとか〜は「エメラルドフロウジョン」という彼のオリジナルかつ必殺技。

そして、僕が昨日見たプロレス番組は「プロレスリング・ノア」で、三沢光晴が立ち上げたプロレス団体なんだそうだ。

そいつは他にもプロレスについてべらべら喋っていたが、僕にとってはエメラルドの闘士に「三沢光晴」という名前が付き、「プロレスリング・ノア」を観ていれば三沢光晴の試合が観れるという情報だけで充分だった。

それからはノアの試合を観て、三沢光晴について調べまくった。名試合も、名台詞も、エメラルドフロウジョンが生まれた試合も。

プロレスには対戦相手がいる。

三沢光晴について知るということはプロレスについて知るということと同義なんだろう。
僕はどんどんプロレスについて詳しくなった。
そして三沢は、僕の中でどんどんヒーローになっていった。

ここまでの話は、僕の中の「プロレスの始まりから終わる直前」の話だ。

これから、僕の中でのプロレスの終わりの話とその後日談をしていこう。

2009年6月14日の朝8時15分頃、プロレスは終わった。僕の中で。

学校に行く前に立ち寄ったコンビニの入口に置いてあるスポーツ新聞の一面に「三沢死す」の文字とエメラルドの僕のヒーローの写真が掲載されている。

「なんかの冗談だろ?」

と思いながら新聞を手に取り、雑誌コーナーに移動し、立ち読みする。

泣き崩れた。
コンビニで立ち読みして泣き崩れた。なんなら今、これ書きながらも少し涙ぐんでいる。

リング禍?あの受け身の天才が?バックドロップで?

コンビニで泣きながらいろんな考えが頭の中でぐるぐる回る。

いつの間にか家に帰っていた。手に新聞は持っていたので買ってはいたんだろう。学校に行ってる場合ではなかった。

誤報の可能性もある。

テレビを付ける。ワイドショーでは三沢光晴の死を伝えている。2ちゃんを開く。【訃報】三沢光晴死去のスレが立っている。

三沢の死去は事実らしい。また泣いた。今度はさめざめと泣いた。

そして僕はプロレスを観なくなった。当時は、僕にとってのプロレスは三沢光晴であり三沢光晴こそがプロレスだったんだろうとか思ってたけど、今思うと、プロレスを観るということは選手が好きになるということだ。自分の中にヒーローができるということだ。

それをある日突然失ってしまうのが怖くなってしまったんだろう。

三沢のせいにするわけではない。もちろん相手選手のせいでもない。

でもとにかく、僕は三沢光晴の死をきっかけにプロレスを観なくなってしまったのだ。

これが僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長の理由である。

ここからは後日談。

プロレスを観なくなったと言っても残るものはある。
三沢光晴についてと三沢光晴までのプロレス知識だ。

三沢の死去から10年程経った頃だろうか?にわかにプロレスブームが再燃した。

僕が通っていた飲み屋でもプロレスファンが増えていた。みんながプロレスについて語っている。知識だけは残っている僕にはプロレスネタにプロレスネタで返すことくらいはできる。でもそれがいけなかったんだろう。

「こいつプロレス詳しいのでは?語れるのでは?」と思われたらしい。

そう、プロレスブーム再燃と言っても、深く語れる人は少ないのだ。人は、深く語れる相手を求めるらしい。

こんな会話があった。

「ケンシロウはプロレス見ないの?」

「僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だったんだよね」

「あー、あの人ね。でも今のプロレス面白いよ?」

「プロレスの面白さは否定してないよ」

「じゃあ見ればいいじゃん!面白いから!今度語ろうよ!」

そうじゃないんだ。

こんなこともあった。

「ケンシロウ、今日の飲み代なしで良いからさ、お客さん帰ったあと2人で飲むべ」

「え、まじで?ありがと!」

「そのかわりちょっと聞いてほしい話あるからさ、付き合ってくんね?」

「いいよ〜」

プロレスの話だった。

「お前、ほんとはめちゃくちゃ詳しいだろ」

「だからさ、僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だったんだって」

「その言い方がなんか匂わしてんだよね」

と言ったあとは、彼のプロレス知識のお披露目だった。

プロレスブームに乗じてプロレスを語りたい人たちは最終的にみんなこう言った。

「今のプロレス面白いよ!」

それを聞くたび、「あぁ、この人たちには「僕のプロレスは三沢光晴で終わった」の匂わせすらも伝わらないんだな」って悲しくなった。

苦痛だった。

僕の気持ちも、三沢の死も置き去りにされたようで。

でも、その半年後くらいかな?最高のプロレスファンに出会った。

場所は広島だった。海技免状を取るために3か月ほど住んだ広島にあるチャイナドレスガールズバーだった。

その人はその店でプロレスについて語り尽くすことで有名で、迷惑がられていた。2カ月に一回くらい来るからケンシロウも出会うかもね。うるさいけど気分害さないでね。はーい。みたいな会話をしているうちにその人は来た。

案の定プロレスについて語り出す。

最近の推し団体、推し選手、今日も三沢が死んだ会場で試合を観てきたこと。

ん?え、三沢?あ、そっか、死んだの広島か、え、そここっから近いの?

と思うより前に

「三沢死んだ会場ってここから近いんすか?」

と口走っていた。

チャイナドレスを着たガールズバーの店員は「あちゃー、こいつ乗っかってくんなよ」という顔をしていた。

おっさんはいきなり会話に入り込んだ僕に戸惑いながらも「近いよ、原爆ドームの向かい。三沢っていうかプロレス好きなの?」と話しかけてきた。

「僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だったんです」

この一言が始めて通じた。

「いや、三沢はそんなこと望んでないと思うよ。生きてたらさ、プロレス観てほしいって言ってるよ」

僕は少し涙ぐみながら「いや、でも気持ちの整理がついてないって言うか、また僕のヒーローをリング禍で失うのが怖い気がする」と言った。

「うん。それはわかる。でもさ、それは三沢が一番悲しむことだと思うんだよ。三沢はプロレスを愛しててさ、プロレスファン増やしたいやつだったんだから。自分がいなくなったことでプロレスファンが一人減ってしまうってことは悲しいことだよね。そして俺も悲しいかな。こんなに三沢について熱く語れるやつがプロレスファン辞めてるなんて。まぁさ、絶対に強制はしないけどお前とはちょっと三沢以外のプロレスも語ってみたいからさ、三沢が死んだ会場も病院も結構近いからとりあえずそこ巡礼してみてさ、気持ちの整理がついて暇だったらドラゴンゲートって団体見てみてよ。リング禍ないようにないようにしてる団体だからさ。感想聞かせて。俺は明日もいるからさ」

その翌日、海技免状の講習はサボって三沢ゆかりの地を巡礼した。三沢を思って少し涙ぐんだだけだった。
夜にガールズバーに行くと、そのおっさんは来なかった。朝まで飲んでいたが、姿を現すことはなかった。女の子たちは「今日、ケンシロウとプロレスの三沢?の話するって言ってたよね?」とか言っていた。

僕は未だにプロレスの話をできないでいる。ドラゴンゲートも見ないままでいる。

気持ちの整理がつかないままでいる。

やっぱり僕にとってのプロレスは、今でも三沢光晴社長で始まり、三沢光晴社長で終わったままなのだ。

青椒肉絲を食って、自分のルーツを言い当てるやつがいたら怖くない?

青椒肉絲を食い続けて気づいたことがある。

 

 

 

  

プロが作った青椒肉絲もある。中華圏の人が作ってくれた青椒肉絲もある。これらの写真を見てわかるように、入ってる具材が料理する人によってまちまちすぎる。青椒肉絲は。ラスト2枚は盛岡の「らんらん」。通いすぎて、Googleマップの写真が自分ので埋まるくらい好きな店だ。

 

そして、ここから一つ見えてきたことがある。

 

「青椒肉絲の具材によって地域を特定できるのではないか?」

 

この場合の地域って、中華圏の人なら育った地域、プロの料理人なら修行した店のことだ。

 

簡単に言うとこういうことだ。

 

「青椒肉絲一つでその料理人のルーツまで辿れるんじゃないか?」

 

誰か本当に研究してくれないかな。 卒研テーマには結構面白いと思う。確実に体重100kgオーバーはするだろうけど。

 

そしてこの発想は餃子でも春巻でも、回鍋肉でも麻婆豆腐でも酢豚でも出てこなかった。

 

餃子、春巻→見た目で分かりにくい

酢豚、麻婆豆腐、回鍋肉→解釈がありすぎる

青椒肉絲→具材も切り方も指定してあるのに出てくるものに色んなものがある

 

この発想に至ったのは、店の青椒肉絲だけじゃない。中国人が作るものも、台湾人が作るものも、日本人が作るものも食べてきたからだと思う。プロのものも家庭料理の青椒肉絲を食べてだと思う。

 

まぁ、青椒肉絲食って

 

「あなた、○○で修行しましたね?」

「あなた、中国の◯◯出身ですね?」

 

って言っちゃいけないと思います。

 

そんなやつは

もう料理研究家でもない。

もう食に関する探偵でもない。

もう客ですらない。

ただの恐怖になり得るから。

僕が読んだ舞城王太郎は、同じ山を違うルートで導く。

舞城王太郎の『代替』っていう短編小説を読んだ。

逆だ。

って思った。

僕が大好きな『好き好き大好き超愛してる。』とは、登山ルートが真逆なだけで、行き着く場所は同じなんだと。つまりアプローチが逆なんだ。

読んでる人にも「は?」だろうし、読んでもいない人にはますます「は?」なんだろう。

『代替』の書き出しは、

ろくでもない人間がいる。お前である。くだらないことに執着して他人に迷惑をかける人間がいる。これもお前である。何を触っても誰と関わっても、腐敗と不幸をもたらす人間がいる。まさしくお前である。

と、徹底的に「お前」を否定する。

対する『好き好き大好き超愛してる。』の書き出しは、

愛は祈りだ。僕は祈る。

から始まり、

僕は世界中の全ての人たちが好きだ。

と、世界そのものを祝福する。

簡単に言えば、一方は世界を呪うような書き出しで、一方は世界を祝福するような書き出しだ。

だから最初は「逆だな」としか思わなかった。

でも、『代替』を読み進めると、こんな文章が出てくる。

生命は尊い。……善とは、自分が大事であると認識することだけだ。他人になす何かではない。自分を許し、励まし、正すことなのだ。他人への振る舞いはその後にすぐついてくる。

それまでは、「お前」は生まれた瞬間からクソだ、と言わんばかりの文章が延々と続く。

だから、この一節を読んだ瞬間に気づいた。

あ、逆だったんだなって。

手段が。

行き着く山頂は同じだった。

違ったのは、そこへ登るルートだけだった。

ブログ記事だったら何点?

再開もショックも現在進行系でやってくる。

めちゃくちゃショックな話をしたい。

今この時のナウでnowで2026/06/14 4:08で、現在進行系、doingだった話だ。

その時はそれくらいタイムリーな出来事だった。

 

少し怖くなるくらいに。そして大きな運命を感じるくらいには。

 

気仙沼でたまたま入ったバーで

 

僕は15年くらい前に気仙沼に一年くらい住んでて、その時に通ってたスナックの顔だけはめちゃくちゃ好きだったママさんがいたんですよ。

まぁ、そのお店は閉めたらしいし、最近静岡で知り合った気仙沼の人から聞いた話によるとアル中だかなんだかになって別人みたいになってしまったらしいんですけどね…

 

って話しをしてたらちょうど来た。その店に。そのママさんが。

 

男2人、女3人の中の一人で。

 

声でわかった。見た目も、かなり太ってはいたけどママさんだとは分かる。

 

そして、そのママさんと少し話をした。店員さんが僕のことを話したらしい。ボックス席に座っていたママさんが僕の隣に来た。

 

ごめんね…

 

から始まった話を要約するとこうだ。

 

精神病を患い、店を閉めた後に、ストレスからアル中になって、その時の店の記憶がうっすらくらいにしかなくなってるんだ。だからあなたのこともあまり覚えてない。〇〇ちゃんと仲良かった気がするけどね。

 

「そう、その娘と仲良かった人です。とりあえずめちゃくちゃ久しぶりに会えて僕は嬉しかったです。ありがとうございます」

 

と言ってなぜか手を合わせて拝んでた。

 

「ガハハ、なんじゃそりゃ!まだ死んでないっつーの!こっちこそありがとうね!」

 

と言ってボックス席に戻っていたママさんは

 

バーで、普通のバーでよ?普通におっぱい揉まれてた。揉みしだかれていた。

 

ショック過ぎる。

 

そして、ちょうど今読んでいる山田風太郎の幻燈辻馬車という小説にこんな一文があることを思い出した。

 

「人の世に情けはあるが、運命に容赦はない。」

10年越しの願い

静嘉堂文庫にある曜変天目茶碗を見てきた。

存在を知ってから10年越しの念願叶えたりといった感じだ。

そもそもが年に何回かレベルでしか展示されないものだし、何年か前なんて建物の補修だかリニューアルだかで一年くらい美術館自体がやってなかった。

あれ?これ、一生タイミング合わないかもなとか思ってたけどやっとタイミングが合った。感無量である。

 

「美を味わう〜懐石のうつわと茶の湯〜」という展示会で現在展示中だ。

 

展示されている器の数々は確かに美しかった。もちろん曜変天目も。でも、これらの器で僕になにかを供されることはなにかの間違いがない限りは絶対にあり得ないんだと思うと少し悲しくなった。

 

この考えに至った瞬間ひとつのことに気付いた。今まで僕は「全ての器(酒器、食器等々)の良さ」に興味があると思っていたが、それは少し違って「日常に寄り添う器の良さ」に興味があるんだろうなと。

 

例えば、居酒屋でつまみを頼む。

 

つまみに舌鼓を打った後でふと気付く。お、この皿に書いてある絵、いいもんだな。「マスター、この皿どこで買ったんですか?」「あぁ、それはね…」といった瞬間。

 

例えば、少し高い店で日本酒を飲む。

 

ん?このおちょこの口当たり最高だ。しかも持ち心地もいい。これは誰が作ったんだろう?売ってれば手元に欲しいな、と銘を確認し、調べて、その高さに「これは手が出ないなぁ」となる瞬間。

 

例えば、久しぶりに実家に帰って久しぶりに親子で飯を食う。

 

あ、この皿、生まれた頃から使ってるけど、あそこの居酒屋にもあったやつだ。「母さん、この皿さ〜、〇〇〇にもあったけど、いつ頃買ったやつなん?」「母さんの友達がくれたやつで〜」といった瞬間。

 

こんな日常の中でふと気付く「器の良さ」が好きなんだろうな。

 

美術館で展示されている器は手に取ることができないし、もちろんそれを使って料理やお茶や酒を供されることはない。

 

正直生殺しみたいなものだった。

 

でも、「器の美」自体に興味があるというよりも「器の良」に興味があるんだなと盲が啓いたことで10年越しの曜変天目観賞は最高の体験だったということだったんだろう。

 

うん。10年越しの念願を叶えたら日常の念願も叶えたくなってきた。そう。酒が飲みたくなってきた。つまみも食べたくなってきた。つまり、器に触れたくなってきた。さぁ今日はどこで飲もうか?なにを食べようか?どんな器と出会うだろうか?

 

#曜変天目茶碗

#美術鑑賞

住んだ濃度

自分にとってのソウルフードっていうのはある。確実にある。 例えば、僕の出身地秋田県だったら五作ラーメン、秋田市内だったら末廣らーめん、秋田市内の手形って地域だったら珍竹林。これだと全部ラーメンになってしまうけど、まぁいいや、僕の言いたいのはこれじゃあない。

 
東京行ったら食べたいものって誰にでもあるだろう。
 
特に住んだことがある人だったら。
 
東京に住んだことがあって今現在関西に住んでる友人は「絶対に富士そばの黒い汁」って言うし、東京に住んたことがあって今現在中国地方に住んでる友人は「東京っつーか関東来たら家系しかなくね?」って言う。
東京に住んだことがあって今現在九州に住んだ友人は「日高屋の餃子食いたい」って言う。
 
 
 
それぞれがそれぞれにそこに住んだからこそ「これを食べたい」ってなるものはある。僕はそれを「住んだ濃度」と呼びたい。
 
こんな話がある。
 
僕が3ヶ月、広島に住んでいた時にこんな喧嘩があった。
 
口論じゃない。
 
喧嘩だ。秋田出身の僕に「おすすめのお好み焼きのトッピング」で始まった喧嘩。
 
「ヌシャアソノトッピングナンネェ?」
 
「ア?ワシャアコレガスキナンジャ」
 
「オモテデロヤ」
 
「ジョウトウジャ」
 
外に出て殴り合ってた。マスターと常連客。
 
3ヶ月住んだ程度で多少仲良くなったやつに
 
「おすすめのお好み焼きのトッピングで殴り合える」
 
 
その瞬間、「あぁ、これが住むってことなのか」と思った。
観光では絶対に辿り着けない場所がある。
名所でも名店でもない。
「そのトッピングはありえない」で殴り合えるくらい、その土地の“当たり前”が身体に染み込んでいること。
たぶん、ソウルフードっていうのは料理の名前じゃない。
その土地で過ごした時間そのものなんだと思う。