僕にとってのプロレスの始まりは三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だった。
学生の頃だった。あらびき団を観たあと、テレビをつけたまま漫画を読んでいるとプロレスがやっていた。
僕は格闘技があまり好きではない。
すぐにチャンネルを変えようとした。が、なにか僕を引きつける人がいた。黄緑色のおっさんだ。
黄緑色のスパッツを履いたいい歳のおっさんが、髪を振り乱し、汗をまき散らしながら闘っている姿にはなにか胸を打つものがあった。
いつの間にか、読んでいた漫画を放り出し、手に汗握りながら試合の行方を眺めていた。
「決まった〜エメラルドなんとか〜!!」
と実況が叫び、黄緑色のおっさんの勝利が確定した。
それとともに僕の中で黄緑色のおっさんはエメラルドの闘士へと変化したのだ。
これが僕のプロレスの始まりだった。
だから2代目タイガーマスクでもない。全日本プロレスの三沢光晴でもない。プロレスリング・ノアの社長、そしてプロレスラーとしての三沢光晴社長なんだ。
翌日学校へ行き、プロレスに詳しい奴に話を聞くとエメラルドの闘士の名前は「三沢光晴」、エメラルドなんとか〜は「エメラルドフロウジョン」という彼のオリジナルかつ必殺技。
そして、僕が昨日見たプロレス番組は「プロレスリング・ノア」で、三沢光晴が立ち上げたプロレス団体なんだそうだ。
そいつは他にもプロレスについてべらべら喋っていたが、僕にとってはエメラルドの闘士に「三沢光晴」という名前が付き、「プロレスリング・ノア」を観ていれば三沢光晴の試合が観れるという情報だけで充分だった。
それからはノアの試合を観て、三沢光晴について調べまくった。名試合も、名台詞も、エメラルドフロウジョンが生まれた試合も。
プロレスには対戦相手がいる。
三沢光晴について知るということはプロレスについて知るということと同義なんだろう。
僕はどんどんプロレスについて詳しくなった。
そして三沢は、僕の中でどんどんヒーローになっていった。
ここまでの話は、僕の中の「プロレスの始まりから終わる直前」の話だ。
これから、僕の中でのプロレスの終わりの話とその後日談をしていこう。
2009年6月14日の朝8時15分頃、プロレスは終わった。僕の中で。
学校に行く前に立ち寄ったコンビニの入口に置いてあるスポーツ新聞の一面に「三沢死す」の文字とエメラルドの僕のヒーローの写真が掲載されている。
「なんかの冗談だろ?」
と思いながら新聞を手に取り、雑誌コーナーに移動し、立ち読みする。
泣き崩れた。
コンビニで立ち読みして泣き崩れた。なんなら今、これ書きながらも少し涙ぐんでいる。
リング禍?あの受け身の天才が?バックドロップで?
コンビニで泣きながらいろんな考えが頭の中でぐるぐる回る。
いつの間にか家に帰っていた。手に新聞は持っていたので買ってはいたんだろう。学校に行ってる場合ではなかった。
誤報の可能性もある。
テレビを付ける。ワイドショーでは三沢光晴の死を伝えている。2ちゃんを開く。【訃報】三沢光晴死去のスレが立っている。
三沢の死去は事実らしい。また泣いた。今度はさめざめと泣いた。
そして僕はプロレスを観なくなった。当時は、僕にとってのプロレスは三沢光晴であり三沢光晴こそがプロレスだったんだろうとか思ってたけど、今思うと、プロレスを観るということは選手が好きになるということだ。自分の中にヒーローができるということだ。
それをある日突然失ってしまうのが怖くなってしまったんだろう。
三沢のせいにするわけではない。もちろん相手選手のせいでもない。
でもとにかく、僕は三沢光晴の死をきっかけにプロレスを観なくなってしまったのだ。
これが僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長の理由である。
ここからは後日談。
プロレスを観なくなったと言っても残るものはある。
三沢光晴についてと三沢光晴までのプロレス知識だ。
三沢の死去から10年程経った頃だろうか?にわかにプロレスブームが再燃した。
僕が通っていた飲み屋でもプロレスファンが増えていた。みんながプロレスについて語っている。知識だけは残っている僕にはプロレスネタにプロレスネタで返すことくらいはできる。でもそれがいけなかったんだろう。
「こいつプロレス詳しいのでは?語れるのでは?」と思われたらしい。
そう、プロレスブーム再燃と言っても、深く語れる人は少ないのだ。人は、深く語れる相手を求めるらしい。
こんな会話があった。
「ケンシロウはプロレス見ないの?」
「僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だったんだよね」
「あー、あの人ね。でも今のプロレス面白いよ?」
「プロレスの面白さは否定してないよ」
「じゃあ見ればいいじゃん!面白いから!今度語ろうよ!」
そうじゃないんだ。
こんなこともあった。
「ケンシロウ、今日の飲み代なしで良いからさ、お客さん帰ったあと2人で飲むべ」
「え、まじで?ありがと!」
「そのかわりちょっと聞いてほしい話あるからさ、付き合ってくんね?」
「いいよ〜」
プロレスの話だった。
「お前、ほんとはめちゃくちゃ詳しいだろ」
「だからさ、僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だったんだって」
「その言い方がなんか匂わしてんだよね」
と言ったあとは、彼のプロレス知識のお披露目だった。
プロレスブームに乗じてプロレスを語りたい人たちは最終的にみんなこう言った。
「今のプロレス面白いよ!」
それを聞くたび、「あぁ、この人たちには「僕のプロレスは三沢光晴で終わった」の匂わせすらも伝わらないんだな」って悲しくなった。
苦痛だった。
僕の気持ちも、三沢の死も置き去りにされたようで。
でも、その半年後くらいかな?最高のプロレスファンに出会った。
場所は広島だった。海技免状を取るために3か月ほど住んだ広島にあるチャイナドレスガールズバーだった。
その人はその店でプロレスについて語り尽くすことで有名で、迷惑がられていた。2カ月に一回くらい来るからケンシロウも出会うかもね。うるさいけど気分害さないでね。はーい。みたいな会話をしているうちにその人は来た。
案の定プロレスについて語り出す。
最近の推し団体、推し選手、今日も三沢が死んだ会場で試合を観てきたこと。
ん?え、三沢?あ、そっか、死んだの広島か、え、そここっから近いの?
と思うより前に
「三沢死んだ会場ってここから近いんすか?」
と口走っていた。
チャイナドレスを着たガールズバーの店員は「あちゃー、こいつ乗っかってくんなよ」という顔をしていた。
おっさんはいきなり会話に入り込んだ僕に戸惑いながらも「近いよ、原爆ドームの向かい。三沢っていうかプロレス好きなの?」と話しかけてきた。
「僕にとってのプロレスの始まりが三沢光晴社長で、終わりも三沢光晴社長だったんです」
この一言が始めて通じた。
「いや、三沢はそんなこと望んでないと思うよ。生きてたらさ、プロレス観てほしいって言ってるよ」
僕は少し涙ぐみながら「いや、でも気持ちの整理がついてないって言うか、また僕のヒーローをリング禍で失うのが怖い気がする」と言った。
「うん。それはわかる。でもさ、それは三沢が一番悲しむことだと思うんだよ。三沢はプロレスを愛しててさ、プロレスファン増やしたいやつだったんだから。自分がいなくなったことでプロレスファンが一人減ってしまうってことは悲しいことだよね。そして俺も悲しいかな。こんなに三沢について熱く語れるやつがプロレスファン辞めてるなんて。まぁさ、絶対に強制はしないけどお前とはちょっと三沢以外のプロレスも語ってみたいからさ、三沢が死んだ会場も病院も結構近いからとりあえずそこ巡礼してみてさ、気持ちの整理がついて暇だったらドラゴンゲートって団体見てみてよ。リング禍ないようにないようにしてる団体だからさ。感想聞かせて。俺は明日もいるからさ」
その翌日、海技免状の講習はサボって三沢ゆかりの地を巡礼した。三沢を思って少し涙ぐんだだけだった。
夜にガールズバーに行くと、そのおっさんは来なかった。朝まで飲んでいたが、姿を現すことはなかった。女の子たちは「今日、ケンシロウとプロレスの三沢?の話するって言ってたよね?」とか言っていた。
僕は未だにプロレスの話をできないでいる。ドラゴンゲートも見ないままでいる。
気持ちの整理がつかないままでいる。
やっぱり僕にとってのプロレスは、今でも三沢光晴社長で始まり、三沢光晴社長で終わったままなのだ。